映画 怪物の木こり 感想

映画 怪物の木こり ネタバレありの感想です。
原作は読了済み。
映画と原作の違いにも触れてます。

小説版の感想はこちら

下記画像クリックで原作小説 kindle版のページに移動します。

以下映画の感想です。
文章が進むにつれてネタバレが酷くなっています。ネタバレ注意。

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感想

原作とは別物ですがこれはこれで面白かった。

原作の小説は第17回『このミス』大賞受賞作品だけあってミステリー要素が強めの作品。
対してこちらはミステリー要素を減らした分、主人公や犯人の心境に尺を割いた作品に思えました。

結果として物語の結末が大きく違う訳ですが映画の結末の方が個人的には好きです。
というか小説の結末はちょっとあれなので・・・それは小説版の感想の方で書きます。

原作好きな人にとっては意見分かれそうな作品ですがサイコスリラー的な作品が好きな人にはオススメできそうな作品だったと思います。


以下ネタバレ要素多くなっています。ネタバレ注意。

映画と小説の違い

・二宮彰が映美の父親を殺害している
 これが結末に大きく影響しています。

・戸城嵐子のキャラがかなり違う。
 原作の戸城と栗田が混じったキャラに。この影響か、物語は中盤以降別物に。

・杉谷九郎のキャラも全然違う。
 キャラの性格自体は大きく変わっていないのかもしれませんが主人公への態度が全く違う。
 やっている事も原作全然違う。映画のラストは八つ当たりされた猫が可哀そう。

・荷見映美は完全に別物。
 名前だけ同じ。あとはほぼほぼ原作要素なし。
 映美が歌って主人公が涙するシーンはほぼ一緒ですが・・・他は別人。

・その他
冒頭の矢部殺害方法が違う。
誘拐事件の被害者の数が違う。
木こりが襲ってくるシチュエーションが違う。対処も原作とは別物。
杉谷が二宮を襲うシーンも原作にはなし。
東間翠の死に方も違う。協力者の金木の死に方(処理方法?)も違う。
二宮の担当医は原作では死んでないはず?
その他細かいところを上げたらきりがないぐらい違う。
結末は全く違う。

映画と小説の違い 詳細

戸城嵐子

原作に登場しているキャラですが原作とは全く別人。
原作では物語途中で栗田という科警研のプロファイリングリーダーを務める栗田という男性キャラがいますが映画の戸城は原作の戸城と原作の栗田を合わせたようなキャラになっています。

原作の戸城は事件の犯人を追い詰めていく警察側の主人公的な立ち位置ですが映画ではさらに主役のような立ち回りをしていた印象。

理由は恐らくですが・・・主人公に共感できるポジションの人を増やしたかったから?

映画の戸城には殺害された兄がいるという設定。
兄は死刑になるためだけに学校で無差別殺人を行った犯人の被害者になったとの事。
そしてその事件が今の職業に就くきっかけになっていました。

それを聞いた二宮は「復讐の為か?」と聞き、それを聞いた戸城は「サイコパスにはそう映るのですか?」的なやり取りがあったはず。

これは二宮のサイコパスっぷりを際立たせるシーンにも見えますが・・・恐らく多少なりとも図星だったのでしょう。

サイコパス傾向がない人間であれば兄のような被害者をなくしたい、的な発想になるのではないかと思われますが戸城は復讐したいという思いがあったのではないでしょうか?

この辺はっきりとは語られてはいないですが他にも・・・
乾に対してサイコパスの特徴を上げた時に「それってお前の事か?」と言われていたシーン。
病院のカルテを入手する時に薬品のビンを破壊して違法な捜査を行ったシーン。
ラスト、主人公に対して「死なないでね」と伝えるシーンなどがあったはず。

二宮は後天的にサイコパスにされた人間ですが戸城は事件の影響でサイコパス気質に変化したんじゃないかと予想してみます。
主人公よりは傾向が弱いけれども常人の気持ちもサイコパスの気持ちもある程度わかる存在?

だからこそサイコパスのやりたい事がある程度わかる。
警察内部で犯人に一番早く気が付いたのも。
その際に二宮が取った行動も。
そして事件後、二宮に対して「死なないでね」と伝えたのも。

ある程度サイコパス気質になってしまったからこそ色々とわかってしまった場面があるんじゃないかと思います。

原作とは全くの別キャラにはなっていますが・・・映画の結末を考えるとこれはこれでアリじゃないかと思います。

杉谷九郎

こちらは原作っぽいキャラですが原作とは大きく立ち位置が変化したキャラ。

一番の違いは映画だと二宮に対して本当に友情を感じているっぽいところでしょうか?
原作だと二宮も自分の欲求を満たすためであれば容赦なく殺してもいいよね的なキャラに見えるんですよね。特に原作ラストの意味深なシーン。

対して映画は二宮に対して本当に友情を感じてしまっているように思えます。
友情と言っていいのか・・・同族がいなくなって寂しい?

一番の違いは杉谷が二宮を襲うシーン。
襲った理由が二宮が本当にサイコパスでなくなったのか試していたようですが・・・結果を知った杉谷の落胆する姿が印象的。

さらにラスト。
原作通り脳チップの修復をしない選択を取った二宮ですが原作だとそれはそれでいいんじゃない?的な態度。
しかし映画のラストシーンでは友を亡くしてしまったかのように見えました。

思えば小説では年に1,2回会う程度の仲だったようですが映画では頻繁に会う仲だった模様。
原作以上に友情というか仲間意識があったと思われます。

この辺の変化は・・・映画ではサイコパスの心境に重点を置いたからではないでしょうか?
二宮は後天的なサイコパス。戸城もサイコパス傾向がみられる。
そして杉谷は恐らく先天的なサイコパス。

事件に関わるサイコパスの心境の変化に重点を置いた結果、杉谷の行動、心境が変化したんじゃないかと思われます。

・・・まあ原作のオチは正直いってどうかと思うのでこっちの方が・・・いや、こっちもこっちで杉谷の結末はどうかと思う。結局こいつだけ何もお咎めなしに見えますし。

荷見映美

原作とは全く違うキャラ。
二宮に幸せを教えるキャラっというのは共通しているのですが設定が全く違う。

原作では映画好きでしたがそれ関係の話は全くなし。
親の職業も違う。演劇(劇団員?)も原作ではやっていない。

事件の巻き込まれ方も違う。そして父親の殺害について知らされるのも・・・そもそも原作父親は死んでないですしね。

ラストの展開に繋げる為に大幅な変更をしたのだと思いますが・・・個人的にはこちらの方が好み。
二宮が映美を物理的にかばって死亡、的なラストにしなかったのも良かったと思います。
まあ精神的にはかばってましたが・・・オチ的には原作よりこちらの方が好み。

というより原作のオチはどうかと思うの・・・それについては小説の感想の方で書く予定。

二宮彰

原作からキャラの性格は大きく変わってはいないはず。
しかし結末は別物に。

というより原作のラストはサイコパスではなくなってきたから自分の幸せ掴んでやるぜ!的なオチでしたが・・・今までやって来た事を考えるとどうかと思うんですよね。

二宮も被害者ではあるのですがだからと言って二宮がやって来たことは許されるものではないはず。
その辺原作では曖昧にしたまま終わった訳ですが・・・結末としては映画の方が好き。
要は犯人と似たような行動を取った訳ですよね。
元の、サイコパスでは無かった時の人間に戻った事で。

元々の性格はタケシを守ろうとしたように正義感が強い人間だったはず。
その人間がサイコパスから元に戻ったとしたら・・・ラストの展開の方が自然に思えます。

感想 ネタバレあり

という訳で原作とは大きく違った結末になった訳ですが映画の方が好み。
原作は続編も狙えそうなラストにしたのでああいったオチになったのだと思いますが映画は映画で完結させようとした結果、刺されて生死不明エンドにしたのだと思われます。

生死不明に見えるのは二宮も被害者って事を考慮しての結末ではないかと。
二宮も犯人も被害者なんですよね。
とはいえやった事は許されるものではない。ただし法律で裁くのも・・・的な話なので刺されても仕方ないよね、的なストーリー展開にしたのだと思われます。

その為か原作であったミステリー要素は減ってしまった訳ですがその分映画監督が描きたかったと思われるもの、後天的にサイコパスになってしまった人間のドラマが描けていたのではないかと思います。

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