頭の大きな毛のないコウモリ 澤村伊智異形短編集の感想です。
読了しました。
「縊 または或るバスツアーにまつわる五つの怪談」まで感想を書きました。
以降の感想は追記予定。
ネタバレ満載の感想です。ネタバレ注意。
感想 前置き
禍~を読む→禍自作解説を読む→禍の感想を書く。
ゾンビ~を読む→ゾンビ自作解説を読む→ゾンビ自作解説を書く。
以降は全文読了後に感想を書こうとして読み進めていくうちに完全に読み方を間違えていた事に気づく。
というほぼ誰もしないだろうという読み方と感想の書き方をした結果、とてもアレ・・・いや「個性的だね」と言われそうな感想になってしまいました。
多様性が叫ばれる昨今の情勢を踏まえ「個性的」な感想を残しておきます。文章を修正するのが面倒とかではなく、あくまで多様性に配慮、という事にしておいてください。
しかしこの「自作解説」の仕掛けに気づくのに「六作目」までかかるのは我ながら如何なものかと思いました。キャラメルマキアートでようやくですよ。
勘の良い人なら「自作解説」の文章量がやたら多い時点で察する事ができそう。
禍 または2010年代の恐怖映画
短編本文は怖い事は怖いのですが・・・これ、一番最後の「自作解説」を読むと笑ってしまう。(禍~の部分だけ先に読んでみました。)
ここまで原作者が実写映画化された作品についてぼろくそに書いているのをはじめて読みましたよ・・・この短編の全く救いようのないオチは実写化された映画への思いを詰め込めるだけ詰め込んでみた、といった感想になってしまった。
そもそもこの短編で撮ろうとしたホラー映画。
映画としては最悪の作品ですよね。
制作途中でスタッフ全滅した作品なんて世に出せる訳がない。
映画として一本の作品になっていない訳です。映画ですらない。
ただ単に惨劇が起こった時の物を集めてみましたよ。
そうしたら訳の分からないものが誕生してスタッフが「みんな死んだ お終い」になっただけの話。
澤村先生にとってはホラーの本質は「愛」だそうですがこの短編に愛はあったのだろうか。
いや、よく考えたら愛しかないのかもしれない。
短編のメイン登場人物である霜田は幽霊を信じていないホラー映画監督。
幽霊がいてもいいし、いなくてもいい。
一番怖いのは自分のホラー映画だ。そういわれる仕事がしたい。
そんな思いで過去に撮れなかった最高のホラー映画を撮ろうと禍の粒子のようなものをかき集めてみたら最高の恐怖体験にはなったもののホラー映画としては、いや映画としては最低の物となってしまった。
事故や事件にあった人物の思いを蔑ろにした監督に報いが来たともとれる内容。
逆に言えば作品の糧にされそうになってしまった犠牲者たちに報いる、愛しかない短編だと言えるのかもしれない。
・・・けれどもやっぱり自作解説を読む限り自身の実写化された映画に対して思うところを詰め込むだけ詰め込んだ内容に思えてしまう。
この作品を読んで読者の心に何が「来る」のか。それはホラーに対する愛があるか否か・・・なのかもしれない。
ゾンビと間違える
自作解説がぶっちゃけすぎている。
ゾンビものらしき話なのに一向にゾンビが出てこない、これは一番怖いのは怪異ではなく人間だ、というオチになるかと思いきやラストのラストでちょっぴり登場。
何故ほぼ駆除したはずのゾンビがいきなり院内感染で突然大量に登場するのか。
まったく説明の無いままラストシーンでは主人公はゾンビと認識している物に向かってバットを振り下ろす・・・という、まるで救いのないゾンビ物のような・・・いやゾンビ物だった。
とにかくそれまでが丁寧に社会情勢などを描いているのにラストだけとりあえずゾンビものだからゾンビ出しとけ!みたいな展開なってしまったのかと思い、解説を読んでみたら・・・納得ですよ。そりゃこんな展開になりますよ、という話でした。
ゾンビに興味がないんじゃ仕方ない。
独自性の高いゾンビ小説が書けた、と解説はしているものの・・・これはゾンビ小説と言っていいのだろうか。
とはいえ前に見た映画「ニンジャ VS ミュータント・ゾンビーズ」はゾンビがおまけ程度でこのタイトルだったのでゾンビものにゾンビがほとんど登場しなくても問題はないのだろう。
昨今ではサメが出ないサメ映画もあるらしいし、そこに愛があれば・・・いやゾンビに愛は無い、と断言されていた。
・・・まあとにかく独自性の高いゾンビ小説であることには間違いは無いと思います。
ただ今回も一番面白かったのが自作解説でした。
「禍」とは違った方向性で解説がぶっちゃけし過ぎていて面白い。
本編とはあまり関係ないところで気になる点がいくつか。
この作者さんのオタクとされている人物はジョジョネタを入れないとダメな縛りでも結んでいるのだろうか。
「ばくうどの悪夢」のオタクもひたすらジョジョネタを叫んでいたし。
まあ余りにもマニアックなネタを入れても読者が付いていけないはず。
例えば「してもいいし しなくてもいい」なんて言っても何のネタかわからない人が大多数のはず。
適度に知名度があって、なおかつ適度にオタクっぽい発言にジョジョネタはぴったりなんだと思います。
まあ他の作品だと本編に全く関係ない戦隊ネタを言い続けているオタクがいたのでジョジョ限定って事はないとは思うのですが。
日本にゾンビが現れたのは某県郊外のフェス会場とのことですが・・・
この世界には班目機関でもあるのだろうか。
今に超能力者や改造人間なんかが登場するに違いない。
あと一つ。
自作解説で作中の少年は息子を、少女は娘をモデルに、と解説されていますがゾンビものの登場人物に自身の子供たちをモチーフにして登場させるのは・・・これも愛なのだろうか。
縊 または或るバスツアーにまつわる五つの怪談
これ以降の感想は「自作解説」まで読み終わって、つまり「自作解説」が自作解説でもなんでもないホラーだった事を理解した上での感想になります。
上記2つの短編は自作解説を散々ネタにして書いたのに使えなくなってしまった。
という訳でこの短編は考察をメインにしようと思います。
怪談5で
ウソが混じっているのは確実。勘違いもある。
と語り手が言っている通り、ウソや勘違いもあるので何が事実で何がウソかはわかり辛いのですが恐らく複数人が証言している事は事実に近い可能性があるので各語り手の情報をまとめてみようと思います。
怪談Ⅰ
語り手 高橋
あだ名はバクテリアン。元ネタは恐らくドラゴンボールのバクテリアン。
語り手2の山田と語り手5の人物がバクテリアンの体臭で調子を崩しているようなので恐らく体臭がきついのは確定。
裏庭の木にぶら下がっている「白いもの」を語り手2の山田と一緒に見た。
山田が最初に死体を見た時は
”首が異様に伸びている”
”腹が裂かれて内臓がこぼれて”
”顔は髪に隠れていた”
とのこと。バクテリアンと山田が「白いもの」を見た時は「白いもの」は一瞬で消えている。
怪談二
語り手 山田
あだ名はダーヤマ。
裏庭で「御堂かすみ」の死体を発見。
”額を割られていた”
”血まみれでつるされていた”
“目は開いたまま。口から舌が出ていた”
”みたことのない形相だった”=顔は見えた
怪談三
語り手 鯉川 御堂かすみのマネージャー
御堂かすみをロープで絞殺した?
場所は楽屋?
死体は”白目を向いて” ”舌を出していた”
怪談四
語り手 御堂かすみ?
自称”乗っ取られた”
殺された御堂かすみに乗っ取られた、もしくは記憶を植え付けられた存在?
御堂かすみは楽屋で鯉川に絞殺された。
その後、”霧が出てて白い森”で“髪が長くて服を着ていて背の高さは一緒ぐらい”の女の人?と遭遇
怪談五
語り手 怪談一~四の聞き手?
御堂かすみ?の死体を発見し、警察に逮捕される?
御堂かすみが台本を覚える時に使う賃貸マンションで御堂かすみの死体を発見する。
”首は不気味なほど伸びきっていた”
”両手首には大きな切り傷があって血が流れていた”
といった感じでしょうか?
ほぼ全員が死体を見ているのですが全員言っている事が違う。
首が伸びていた、とか一致しているところもあるのですが他は全然違う。
違い過ぎて考察しづらいのですが個人的に気になるのが”首が伸びていた”
高橋は恐らく話をほぼ盛っている。逆に怪談五の人物は話を盛らずに伝えているはず。
なにせよくわからない死体を発見した後、相当長い時間我に返らなかった状態。その後、取り調べを受けている訳なので話を盛る可能性は低いはず。
盛っている話と盛っていない話で共通している物があればそれが事実に近いような気がするのですが・・・
ただしこの怪異。恐らく記憶を操作できる能力持ち。
怪談二の山田は記憶が完全に曖昧。怪談四の人物は記憶を植え付けられたかのような(本人曰く乗っ取られた)証言をしているので他者の記憶を操作できる可能性は高いはず。
それなら全員の話が食い違っていてもなんらおかしいところはなくなってしまうのですが・・・ただ他の証言に比べて”首が伸びていた”というのは共通している、そして特徴的な部分。
この辺に怪異の正体のヒントがあるんじゃないか、という気はします。
首が長い妖怪と言えばろくろ首ですが・・・今回の話にはあまり関係がなさそう?
ただしろくろ首は首が伸びるだけではなく「抜け首」という胴体から首が離れるパターンもある模様。
ろくろ首が胴体を離れ、御堂かすみの体を乗っ取った、といったパターンであればこの怪異はろくろ首のような存在だと言えるのかもしれません。
記憶操作は知らない。
まあこの話で一番怖いのは・・・I田K織のバスツアー(19000円)が実在したという事ですよね。芸能界はマジで怖い。
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