映画 爆弾 感想

映画 爆弾
感想です。

原作小説は未読です。
以下 映画の感想です。
※追記 映画を見終わってから原作を読みました。原作含めたネタバレの感想を追記。

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ネタバレ少な目の感想

山田裕貴と佐藤二朗のやり取りが面白い・・・
のだけれども、ものすごい不発弾的なモヤモヤが残ってしまう作品。

ミステリー要素が解決しても全くスッキリしないんですよね。
ミステリー作品に人が何を求めるかは個人差があると思うのですが私個人としてはミステリーが解き明かされた時に何らかのカタルシスを得たいと思ってしまう。

しかしこの作品はミステリー要素が解き明かされてもスッキリしないというか、さらに謎が深まっていって全くカタルシスは得られない作品だと思うんですよ。
探偵物なら真犯人は誰か、動機は何か、そしてトリックは何か。
結局殺人事件が起きてしまっている訳で(起きない探偵物もありますが)カタルシスを得られるかは人によると思いますが・・・それでも探偵役が犯人を追い詰めるシーンが見どころみたいなところがあると思うんですよ。

この作品は謎が解き明かされていくと同時にどんどんモヤモヤが貯まっていくんですよ。これは警察はどうすればよかったのだろうか・・・みたいな。
そして結局最後の最後までその積もったものが解放されないまま終わりを迎えて・・・みたいな結末だったので物凄い不発弾を抱えたような印象が残ってしまった。爆弾というタイトルなのに。

そして佐藤二朗の演技が良すぎてムカついてしまう。
いい犯人役なんですよね・・・恐らく原作のイメージピッタリ。原作未読ですが。
原作の犯人のイメージを忠実に再現しているんだろうなあ・・・と勝手に思ってるする訳ですが、原作の犯人がそうなんでしょうね。ものすごく犯人に対してムカついてしまう。
そしてそのモヤモヤが解消されるか・・・とネタバレになってしまうので詳細は避けますがモヤモヤが貯まり続ける作品な訳で。
良い演技をしているからこそ佐藤二郎に対してムカついてしまう。

といった感じで色々と不満が爆発物のように貯まる作品ではあるのですが最初に書いた通り面白い事は面白い作品。
主演の山田裕貴と佐藤二郎のやり取りは互いにどんな感情を抱きながら、欲望を抱きながら話しているのか推察しながら観ていくのが面白い。
他のキャラたちもメイン登場人物は全員個性的でそれぞれに見せ場があってよい・・・のだけれども、モヤモヤが貯まり続けてしまった。

という訳で個人的には面白かったけれども人にお勧めするか、と言われれば・・・ちょっと人を選びそうな作品だと思ってしまった映画 爆弾の感想でした。

最後に一つだけ。佐藤二郎のドアップがやたら多いので耐えられない人は避けた方がいいと思います。10分ぐらい佐藤二郎のドアップがあったような印象。
恐らくもっと短いとは思うのですが・・・とにかく嫌いな人は避けた方がいいと思います。

原作と映画の違い

映画の後に原作を軽く読んでみたので原作と映画の違いを。
ただし原作はかなり軽めに読んだので抜けがあるはず。参考程度に。

当然ですがネタバレしかないのでネタバレを気にする方は注意。
以下ネタバレしかない原作と映画の違いです。

まずは個人的に気になった箇所。

・細野ゆかり
映画では登場しなかったはず。
原作では冒頭から登場しており重要人物なのだが。
個人的には細野ゆかりが登場しなかった事で原作と映画の物語の後味がだいぶ違ったと思う。後述。

・ラストシーン
小説も映画も「最後の爆弾は見つかっていない」というセリフで締めだったはず。(映画はちょっとうろ覚え)
ただし小説は本当に「最後の爆弾は見つかっていない」で終わりだが映画ではその後、自販機で飲み物を購入する音が聞こえて終了・・・だったはず。
これも細野ゆかり同様に映画の後味を変えたと思う。後述。

・爆弾の数
原作だと作られた爆弾の数が明確に描写されている。
映画だと個数までは特定されていなかったような?
この描写があると無いとでは「最後の爆弾」の意味が違っていると思うのだけれども。後述。

あとは細かい違い。恐らくかなり抜けがあるはず。

・セリフ
かなり削られているはず。映画の尺に合わせるためにかなり削ったと思われる。それでも2時間25分ぐらい?の上映だったので分量的に原作全てを再現するわけにはいなかったはず。
特に類家のセリフはかなり削られているっぽい?

・心理描写
原作は映画より圧倒的に心理描写が細かい。
映画でも心情が分かりやすく描かれているとは思うのだけれども流石に文章で表現できる小説の方が各キャラの心理描写が分かりやすい。
個人的には等々力の心理描写が気になった。

・矢吹
違いというか・・・足が吹っ飛ぶシーン。
映画では吹っ飛ばされた足が残っていたはず。原作だと吹っ飛ばされた見つからなかったはず。
地雷で足が吹っ飛んだなら映画の方がおかしいような気がしないでもない。
地雷っぽい罠、というだけで地雷ではない可能性はあるけれども。

・長谷部と等々力
事件後の現場で長谷部がやっているシーンを等々力を見つけたシーン。
原作だと一軒家。映画だと廃ビルっぽい場所だったような。
というか映画のこのシーンはあそこまでやる必要があったのだろうか。
ちょっと、いやかなり生々しい。

他にもシェアハウスの事を元住人に聞いているシーンや倖田が明日香を見つけるシーンが違っていたり、かなりの違いはあると思うのだけれども・・・とりあえず、この程度で。

ネタバレあり 感想

という事で映画と原作ではストーリー面では大きな違いはなかったように思える。
特にスズキタゴサクのやりたかった事や心情は大きな変化はなかったと思う・・・のだけれども、やっぱり映画は後味が悪い。
まあ原作も原作で後味が悪いのですが、それでも映画より救いがあると思えてしまう。

一番の違いは細野ゆかり。
特に事件に関係のない一般市民だけれども最初と最後でかなり心境に変化があったはず。
最初は興味本位で写真を撮っていたけれども最後は人を助けるために写真を撮っていた。結局自己満足ではないか、と自問自答したりしていたけれども事件に関係ない一般市民が悲惨な事件に遭遇しても人のために動けた、というのは多少なりとも希望が見えるラストになると思える。
なにせ他の登場人物が結局は爆発事故を止められず自身の心に生じた暗い感情と一緒にいるしかない、みたいな事になっていたので。
それだけにゆかりの抱いた感情があると無いとでは物語を見終わった後の印象がだいぶ違ってくると思う。

他には残った爆弾の描写。
映画のラストシーンでは自販機で購入した飲料が爆発してもおかしくはない。可能性が限りなく低いにしても暗に爆発する可能性がある、と思えてしまう。
警察署はだけは安全ですよ、みたいな事になってはいましたが実際は警察署に集めて最後の爆弾が爆発する可能性があったはず。なにせスズキタゴサクは事件の全貌を知らされていない。
まあ警察署の飲料に爆発物が仕掛けられている可能性は非常に低い訳ですが。山脇が自販機の補充を担当したのは駅だけのはず。都合よく警察署に仕掛けるのは難しい。なので限りなく可能性は低いわけですが・・・それでも可能性は0じゃないですよね。

そもそも映画では爆弾の残り個数は確定していないはず。
事件の状況から残り1個であるはず。それが見つかっていない。その「最後の爆弾」が見つからない、といった締めだったので・・・爆弾はもっと多く存在していた可能性すらある。
とはいえ、これは原作小説でも一緒なのですが。シェアハウスで残っていた爆弾の材料から推測すると使われていない爆弾は残り一つ、としていたので。見落としがあってもおかしくはないのだけれども・・・それでも映画の方が残っている可能性が多く思えてしまう。

まあ原作も映画も「最後の爆弾」がスズキタゴサクたちが使った爆弾に限定はしていないと思うのですが。
他にも事件が起こる可能性がありますよ、これからも新たなスズキタゴサクが現れて爆弾を爆発させる可能性がありますよ、という意味も含めて「最後の爆弾は見つかっていない」という意味もあるはず。もちろんスズキタゴサクが爆弾を一つ使っていない、という意味もあると思うのですが。
結局映画も原作小説も後味が悪い結末には違いないのですが・・・それでも原作小説は警察関係者ではない細野みのりが前向きになるシーンがあるので印象が変わって来ると思うんですよね。新たなスズキタゴサクが現れるかもしれない。しかしそれを止めてくれる一般市民が出てくれるかもしれない。そんな希望があるように思える小説の終わり方だっただけに・・・それが全くない映画は本当に後味が悪いと思ってしまう。最後の自販機で飲料を購入するシーンも含めて。

このラストの違いは人によってかなり受け取り方が違ってきそうですが・・・個人的には小説版の終わりの方が好きです。


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